偏差値69の落第生
高校でただ一人進学しないことを宣言し、ロックスターになり東京の中目黒のペントハウスで謳歌すると夢を語るわたしに、担任が涙を流しながら「考え直せ」と何度も諭しました。
しかし、わたしに鳴り響いているのは目の前の担任の言葉ではなく、イギリスのロックバンドJAPANのデビット・シルビアンの低く震える美声とジョルジオモルダーが奏でる煌びやかなLIFE IN TOKYOのビートでした。
当時、私の中に存在していたのは「東京で成功したいという承認欲求」だけで、目的・目標・戦略・戦術の全てが欠落していました。必然的に、若く衝動的な欲望の塊は人生を乗り切るライセンスを所持せぬままに高速道路を突き進み、オーバースピードでコーナーに飛び込んでいることを理解しながらもアクセルを踏みこむ選択しか出来ないわたしは、夢へとつながる道を派手にバーンアウトしました。
そして「考え直した先の未来」と「バーンアウトし社会から弾かれた現在」とのギャップを時間と共に埋めてくれたのがマーケティングであり、ドラッカーです。中二病的に表現するならば、「失敗してはいけないゲームからの脱出」を模索していたわたしに「失敗こそが成功への糧」と考えるマーケティングが刺さらない理由はありません。
マーケティングでは総合力を高めるより、頭抜けて強い価値を作り上げることを推奨します。所詮、偏差値69の人間はトップオブトップではありません(全国のシックスナインの皆様方、申し訳ありません)。相対的に高い評価は、上位層に入るほどに相対的に低い評価になっていき、やがて肩を叩かれる瞬間が訪れるかもしれません。ならばカテゴリーキラーを狙うべきです。唯一無二の価値を手に入れるべきです。
それを20歳で気付くのか、50歳で気付くのか?それとも69の時に気づくのか?いつだって気付きは突然で雷に打たれるように訪れます。そしてリスクを犯した後にしかやってこないのです。
恋愛はコスパが悪く高リスクである。
「挑戦しないことが、何よりのリスクである」
「挫折をしたことのない人は挑戦をしたことがない人だ」
ラリーエルソン、アインシュタイン、ピータードラッカー、多くの偉人が【挑戦とリスク】について語っています。その言葉は私の心にも強く響いていますが、【挑戦とリスク】について最も影響力をもっているのは村西とおる監督です。
「死にたくなったら下を見ろ。ずっとずっと下に俺がいる」
村西監督の挑戦は結果的に、前科7犯と借金100億円の結果が残りましたが、そのリスクを背負ってでも成し遂げたい使命感と情熱は幾兆億の男のパトスを掻き立てたのではないでしょうか。
しかし、若い世代では恋愛はコスパが悪く高リスクであるという考え方が広まっているようです。恋愛から得られる対価(幸福感、充足感、肉体的満足)とリスク(経済貧窮、時間的束縛、精神的束縛、精神的苦痛など)を比較すれば明らかにリスクの方が大きく挑戦する気になれない。
恋愛は一過性の精神疾患のようなものと表現されるように、瞬間的な衝動と引き起こされる不合理な事象を天秤にかければ、衝動を抑えリスク回避することが得策という考え方も一部共感します。そう言う意味では「結婚」など最悪のリスクと映るのでしょう。
「相手に好きになってもらえないと、怖くて好きになれない。好きと言って振られたら目も当てられない」という男性に対して、女優の田中みな実さんは「恋愛をリスクと言っている時点で嫌ですね、恋愛はリスク云々ではなくて気持ちだから」と発言しています。
村西監督は「心で見なくちゃ、ものごとは良く見えないってことさ。肝心なことは目で見えないんだよ」という言葉と共に「男というものは傷つくこと、恥をかくことを何より恐れている生き物」と表現しています。
村西監督のいう目で見える世界とは「今、この状況をどう乗り切るか」という緊急の課題を示しており、心で見える世界は「将来、何を果たすのか」という重要なテーマを示しているように感じます。
パチンコ業においても目的を「今の成功」におくか、「未来の成功」におくかによってチャレンジとリスクの考え方が変化するのは間違いありません。市場価格300万円を超えるヒット機種は近視眼的に見れば投資回収は不能になるし、俯瞰してみれば競合との絶対的な格差をつける大きな機会になります。一番店戦略をとっている店舗であれば確実に市場優位性をとれるこの上ないチャンスです。
「挑戦しないことが、何よりのリスクである」
80台購入したって高々3億円(しかも粗利や売却でリスクヘッジ可能)だし、前科も残りません。残るのはパチンコファンの熱狂とヒリツク仕事、未来に待つのは大きな希望か悔しさだけです。もし競合が同様の施策をとってきたら?互いにナイスファイト!と称えあえばいいだけです(笑)
リスクとは何かをプロスペクト理論で考える
行動経済学の「プロスペクト理論」にも人がリスクを嫌う心理が表されています。
このプロスペクト理論はパチンコに深く関連する考え方なので是非とも考察を深めることをお勧めいたします。
簡潔にまとめると、人は損失の二倍以上のリターンが見込めなければリスクをとりたくない。ということ体系化した理論です。
例えば50%で5万円儲かる(期待値2.5万円)が、50%で2万円没収される勝負を多くの人が嫌うが、50%で10万円儲かる(期待値5万円)が、50%で2万円没収される勝負ならばやってもいい。という声が増えます。
パチンコファンの心理も同様で、リターン期待値に応じて投資額が変動します。6号機が決定的にダメなのは上限枚数に制限があることにより投資限度が下がることです。MAX機&等価交換が強い理由は【顧客の最大勝金額が高い】がゆえに、投資が上がるということに他なりません。
ですからゲージ設計においても同等の利益設定であればヘソを絞り、ヨリを増やす方が投資意欲を掻き立てることになりますし、機械仕様とすれば低ベースでTY性能を上げる方が投資意欲を掻き立てます。
この原理を知識としては持ちながらも、「一個賞球機種はベースが安定しないため、看板機種になり得ない」と間違えるコンサル(わたし)もいるので注意してください。
現在のパチンコのトップ3であるヱヴァ、リゼロなどは出玉期待値はトップの性能を有します。バキ、ジャギなども同等の性能を有しています。
勘のいい方はお気づきかと思いますが、顧客の投資意欲を高めるということは、【利益率を低くする】ことや【当たりやすくする】ことではなく、絶頂の体験(大当たり体験)をするということなのです。
恋愛はリスクだという考え方は「恋愛の先にある絶頂の体験を知らない」ということに置き替えることも可能かもしれません。
田中みな実さん的に言えば、「一回人をとことん好きになって、失恋してほしい。そしたらきっと何かが見えてくるはず」ということになります。
繁盛する店、しない店の決定的な違いは「絶頂の体験」を重視しているか、「経営のコスパ」を重視しているのか、という仮説はいかがでしょうか。パチンコ店経営のコスパを、「最小の機械投資かつ出玉で確実に粗利をとる」とした場合、顧客は特別な体験をすることなく、機械性能の劣化とともに投資意欲は減退し、粗利は減少の一途をたどることはプロスペクト理論から証明されています。
西野カナと依存症とプロスペクト理論
パチンコ依存症の大きな要因として「高い射幸心」が取り上げられますが、依存度を強化しているは、強制的なストレス負荷(現金投資)からの成功体験を得るという秀逸なパチンコのゲーム性だと思っています。
例えば2万円投資をして1万円分の景品を獲得した場合、2万円を投資した興奮と1万円分獲得した喜びを合わせて3万円相当の体験を享受します。このレバレッジの効いた成功体験は他業種にはない絶対的な強みです。
そのためには、「確実に勝利できる」という陳腐な提案をするのではなく、「打ちたくて当てたくてどうしようもない」環境を作り出すことがパチンコ店の醍醐味です。
簡単に手に入らないほどに燃え上がり、些細な幸せが数倍にも感じてしまう。
このプロスペクト効果は西野カナさんの歌にも度々登場してきます。
「会えなければ、会えないほど、会いたくて、会いたくて震える」
もうこれは完全にプロスペクってますね。
昭和世代の方には郷ひろみさんの方が分かりやすいでしょうか
「会えない時間が愛育てるさ」
あー、これもプロスペクってます。
会えないのに膨らむ欲求。
西野カナさんはどのような恋焦がれるほどの体験をしたのか?郷ひろみさんはどのような体験を提供したのか?わたしは気になって夜も眠れません。
この理性とコスパを無力化してしまう体験こそが私たちの業に不可欠なものであり、それを体系化してプロスペクト理論(改)として提唱しようではありませんか。
そうなればコスパとフリーに慣れ親しんだ若者世代やパチンコ未体験ユーザーをファン化し、コスパ以上の魅力の世界に引き込むことができるやもしれません。
喜男にジャブジャブ体験をさせて虜にさせてやる。
例の吉野家の件、キャッチーでパンチが効いていてなすべきことが伝わる強烈なリリック。適切な表現ではないけれど伝えたくなる気持ち、わたしには分かります。・・・・わざわざとるリスクでないことも理解したうえでも。
それでも私がNGを犯しそうになった時、担任の先生の言葉を思い起こすことにします。
「考え直せ」
この記事を書いた人
ノンブル・マーケティング代表
斎藤 晃一 Koichi Saito
大手ホール企業で培った分析・マーケティング力を武器に、出店や既存店強化などを支援する