業界の慣習や常識は「消費者視点」とズレていないか⁉ -ビジネスライター 綾香の視点-

私はこれまで、多くの経営者の方とお会いしてきました。自ら創業した方、二代目・三代目の方、あるいはサラリーマンとして入社して社長まで昇進された方など、様々です。創業者はハングリー精神が強い、恐れずにリスクテイクをする。ステレオタイプの表現になりますが、こうした傾向は実際にあるように感じます。
二代目・三代目の方のなかには、「本当は違う道で生きていきたかった」とおっしゃる方も少なくありません。しかし、そのような方も、オーナー家に生まれた宿命を、幼少の頃から多少なりとも意識していたようです。これは、企業規模や業界に関係なく、パチンコ業界でも多くある事例だと思います。
伸びている業界、好調な会社を引き継げる人もいれば、逆に「倒産寸前」の会社を引き継ぐケースもあります。私のような経済・経営をウオッチしている者から見ると、フォーカスしたくなるのは後者です。どのように立て直したか、V字回復をしたのか。ストーリーとしても面白く、また非常に参考になるからです。

今回は、そうした経営者のなかから、元々「エンジニア」として活躍していた方々を紹介したいと思います。なお、今回の内容やコメントは取材した当時のものを引用しています。

地方では考えられない大型スーパー

まず、最初に紹介したいのが、鹿児島県にある大型スーパーです。当時、人口3万人に満たたない鹿児島の過疎地に年間600万人以上集客する大型スーパーがあるという話を聞き、非常に興味を持ちました。
それは、「スーパーAZ」というお店でした。経済メディアなどでも紹介されたので、ご存じの方も多いと思います。
同店は1997年、鹿児島県阿久根市に店舗面積1万6500平方メートルの大型店としてオープンしました。阿久根市の人口は約2万5000人。鹿児島の中心地からは車で1時間以上かかり、漁業、農業などの第一次産業従事者が大半を占めます。
商圏人口を重視する大手量販店なら「進出など考えない立地」に超大型店の出店。業界関係者、コンサルタントなどの専門家からは「無謀」という声もあったと聞きます。
しかし、初年度の売上げは損益分岐点を大きく上回り、その後も順調に成長しました。
営業時間は24時間。生鮮食品から仏壇、自動車まで、私が取材した10年近く前で35万品目を取りそろえていました(開店当初は22万品目)。
「地域の生活者に貢献することを考えて、利益は二の次と考えたのです」と言う牧尾英二社長は、合理的に質の良い商品を、より安くタイミング良く提供することが小売業の使命と考えました。そのために「24時間営業、生活必需品フルラインナップ、低下価格の大型店」にチャレンジしたのです。

日本の小売業は企業の都合を押し付けていた

牧尾社長の前職は自動車メーカーのエンジニア。首都圏で働いていたが、地元でホームセンターを開業した実弟を手伝うべく帰郷。82年に社長に就任しました。
ホームセンターは開業から1年も経たずに1億円以上の負債を抱え、資金ショートしていました。牧尾社長は資金繰りに奔走すると同時に、集客力を上げるべく建て直しに着手しました。
「再建といっても小売業の経験は全くない素人でした。唯一、技術者の経験が活きたと思えるのは、問題を解決する際、スピードを優先させるのではなく、原点から原因を考えるという発想だったことでしょうか」
例えば、車が動かなくなったとき、故障した部分を見つけ出し、そこを直せば動くようになる。しかし、牧尾社長の考えは違う。燃料系統、キャブレーター、電気系統まで遡って故障した原因を見つけ出し、「故障が再発しないための修理」を考える。効率を優先させて直しても、またすぐに問題が再発する。これは熟練された技術者ならば当然の考えだ、と言います。
ホームセンターの建て直しもこのような発想でした。売れ筋商品を揃えたり、チラシや広告で販促をかければ売上げは上がりますが、一時的なものに終ってしまいます。そうした応急処置ではなく、コスト構成の見直しや人材教育など、企業の体質を変えるということを意識したそうです。そうして、数年で軌道に乗せることができました。
しかし、ホームセンターを続けるうちに牧尾社長は日本の小売業の体質にも疑問を感じるようになったと言います。小売業の経験はなかった牧尾社長ですが、アメリカの小売業を視察したことが何度かあったとのこと。日本のメーカーが消費者のニーズに迅速に対応するアメリカの小売業を手本にしていたころ、牧尾社長もシアーズ・ローバックなどを見て回ったそうです。
「それに比べると、日本の小売業は供給する側の都合を押し付けているように感じた。出店は商圏人口が多いところ、品揃えは売れ筋商品に絞り、回転率を上げるといったことは消費者視点から考えられたことではないのです」
資本と店舗開発力がある大手企業が好立地を確保する。そこで「効率的な店」が作られる。この理論であれば、阿久根市のような場所では日用品を揃えるにも時間をかけて都市部まで車を飛ばさなくてはならない。
“田舎”にも生活者はいる。なんとかそうした人たちの日常生活の手伝いができないものか。こうして考えられたのが大型スーパーAZだったそうです。

このほかにも、色々な話をお伺いしましたが、私が特に印象に残ったのは、業界の常識と言われていたことを、「消費者目線」で見直し、供給側の都合で行っていた慣例を止めたことです。これは、業界に染まっていないからできたことでしょう。また、エンジニアというキャリアから「問題の本質を見る」視点をお持ちだったことも大きかったと思います。

スーパーAZは、人材の活かし方やマーチャンダイジングなど、このほかにもまだまだ見るべきポイントがあります。皆様も鹿児島に、いや九州に行く機会があったら是非立ち寄ってみてください。同業他社を見るよりも学びはたくさんあるはずです。

少し長くなりました。次回も「エンジニア出身」の経営者を紹介してみたいと思います。